鶴の一声


2007/08/06                    23:50

ロクが入院した。 
推定年齢17歳6ヶ月。 


夕べは遅くまで寝られずに読書をしていた。 
3時頃寝たのだが、今朝8時少し前に友人からのTELで目が覚めた。 

眠かったのだけど起きて、ロクの散歩に出かけようとした。 
散歩、と言っても最近はほとんど歩かず、抱きかかえて隣の畑でおしっこをさせるだけなのだが。 

びっくりした。 
縁の下に横になって、力なくゼーゼー言っているではないか。 
側に置いてある水の器がひっくり返って空になっている。 
目も見えなくなっているロクは、自分で踏んづけてひっくり返すことがあるのだ。 

散水用のホースで口に水をかけてやると、舌が弱々しく動いて飲もうとする。 
昨夜から一滴の水も飲めなかったか。 

かかりつけの獣医さんに連れて行った。 
体温が41度以上もある。 
やはり「熱中症」だった。 
すぐ点滴をしながら、体中に水をかけて冷やす。 

血液検査の結果も思わしくない。 
肝臓、腎臓、みな良くないと言われた。 
即、入院。 

歳が歳の老犬だから、この熱中症が引き金になって、体力が極端に落ちているという。 
熱中症の対症治療はできるが、寿命はあと1週間は持たないだろう、と言われた。 

どうして母が入院しているこの時期に?! 
可哀想だが、苦痛のないように対症療法をお願いして預けた。 

20年前を思い出してしまった。

それは「チャイ」のことである。
ロクがやってくる数年前まで飼っていた犬である。

そのころ60代半ばであった母が、突然心筋梗塞で倒れたのだ。
集中治療室でしばらく生死の境をさまよい、九死に一生を得たのである。

そのときチャイが突然倒れ、獣医さんの診察台の上で亡くなった。
母は「私の身代わりになって死んじゃったのだよね。」と悲しんだ。

その後半年の入院の後、母は社会生活に復帰できたのだ。
リハビリの結果、激しい運動はできないが、近所の買い物くらいには出かけられるようにまで回復した。

そのころ、母の散歩のお供に、と今のロクを知人からもらってきたのだ。

それから17年、ロクは母に可愛がられて育った。
ここ数年は、散歩は母の手に負えなくなり、家族が交代でさせていたのだが。

母が入院している今、また愛犬が具合悪くなるなんて20年前と符合しすぎる。

こんどはロクが母の身代わりになろうというのか。

やりきれない気持ちだ。
母もロクも年老いてはいるが、母だけでなく、ロクにももっともっと長生きして欲しいと切に願う。

戻るにはブラウザーの『戻る』をお使いください。


2007/08/07                    07:30

たったいま獣医さんから電話がありました。
今朝未明、ロクが亡くなりました。

今から引き取りに行きます。    合掌

21:40

戻るにはブラウザーの『戻る』をお使いください。


2007/08/10                   12:00

昨夜、22:52、安らかに永眠いたしました。
享年86歳(満85歳)でした。
生前のご好誼に厚くお礼申し上げます。
                                        合掌


2007/08/12                   11:20

昨日母の葬儀を無事執り行いました。

ご弔問を頂いた方をはじめ、掲示板や直接のメールご弔電など、多くの方から様々な形でご弔意を頂きました。

本来ならばお一方ずつご挨拶を差し上げるのが筋ではございますが、
ここにまとめて謝意を表する失礼をお許しくださいますよう。

本当にありがとうございました。

        18:30

私は占いとか、風水とか、夢枕とか、そういったカルト的なものは信じない人間である。
でも夢が、心の、想いの反映であることは理解できる。

9日夜半に母が亡くなった後、帰宅までの8時間ほどを遺体の傍で過ごした。
ベッド脇の椅子に腰をかけて、母と過ごした日々を反芻している間に、ベッドに顔を伏せて眠ってしまった。

夢を見たのである。
母と私と、そしてロクの3人で、近所の境川の河川敷を散歩しているのだ。
ロクは首輪もリードもなく、母の周りを走り回っていた。
あんなに足を痛がっていた母も足取り軽くロクと戯れている。

夢にはよくあることだが、突然私の足が前に出なくなった。
必死に歩こうとするのだが足が動かない。
母とロクは楽しそうに戯れながらどんどん行ってしまう。
私は置いて行かれてしまった。

ふと目が覚めた。
目の前には穏やかな顔の母が眠っていた。
頬はもう冷たかった。

こんな夢を見るなんて、話ができすぎているよな。
でも、この夢は、私の母とロクへの想いが凝縮された夢であることは間違いない。

楽しい夢だった。
母の遺体の傍でこんなに楽しい夢が見られたなんて、本当に幸せだと思う。

戻るにはブラウザーの『戻る』をお使いください。


2007/08/14                    20:10

母が亡くなって、その夜に母と愛犬の夢を見るのは、出来すぎた話だけど、ありそうな話でもある。

バタバタとあっという間に過ぎたお通夜と葬儀。
様々な事後処理の書類の嵐。
今日も葬儀屋さんが会計報告と請求書を持ってきた。
忙しくて感傷に耽っている暇もない、などと言ったら不謹慎だろうけれども。

この忙しさの中でつくづく思ったのが「出来すぎたロク」のことである。

もし、老犬のロクが健在であったら、ただでさえ心身ともに疲れたこの数日は、さらに大変だったに違いない。
お通夜だろうと、葬儀だろうと、散歩に連れて行ったり、餌を食べさせたり、人手が必要なのである。

ロクが亡くなったのは7日
8日に八事霊園に連れて行って動物火葬の手続きをした。

そして9日、母の最期の日を迎えたのだ。
家族全員病院に詰めて、誰もロクの面倒など見てやれなかったに違いない。

結果的に、母のことだけにかかりきりになることができた。

「お婆ちゃんの死を予感して、先に逝ったのだね。」と言ってくれる人も多い。
ただの偶然だろうと思う不信心な私でも、そうかも知れないな、と思ってしまうのだ。

偶然にしても出来すぎたロクだよな。

戻るにはブラウザーの『戻る』をお使いください。


2007/08/17                    23:40

ホスピスの支払い、
葬儀社への支払い、
お寺さんへの支払い、
やっと済んで、一段落。

この一週間、毎日のように弔問客がいらっしゃる。
私が知らないような、母の古い友人。
もしものときの連絡先」(作っておくと良いですよ。私も作ってあります。)
にも載っていなくて連絡をしていない。

又聞きの又聞きで初めて知って駆けつけてくださる。

我が家の場所が分からなくて、名鉄前後駅までお迎えに行ったお方もある。

遺影を見上げて涙をポロポロ流されるのを見ていると、
こんなに悲しんでくださる友人を持って、母も幸せ者だな、と思う。

ご自身も足が悪くて、お嬢さんに連れられてタクシーで来てくださった老婦人がいた。
家の前の道路まで来ても、歩いて玄関まで来ることもできないのだ、という。

お嬢さんが代理でお線香をあげてくださった。
私は遺影の額を抱いて、待っているタクシーまで走った。
タクシーの運転手さんが気を利かせて後部座席の窓を開けてくれた。
遺影の顔にそっと触れ、涙ぐんで拝んでくださる老婦人。
本当にありがたいことだ。

走り去るタクシーに向かって最敬礼をしていたら、涙が出てきてしまった。

戻るにはブラウザーの『戻る』をお使いください。


2007/08/18                    22:15

母の思い出はいっぱいある。 
亡くなった夜、ベッドの傍でこの60年を反芻していた。 
思い出す母の顔は、どの顔も柔和でありながら凛としていた。 

人様にお聞かせするようなものではない、個人的な思い出ばかりなのだが、 
小学生のころの思い出を一つ紹介しようと思う。 
母自慢になってしまってちょっと気恥ずかしいのだが、 
こんな時期だからそれも許されよう。 

通っていた小学校のクラスで、ある年、十姉妹のつがいを飼っていた。 
毎日交代で小松菜などの菜っ葉や、穀類などの餌を持ち寄って与えていた。 
我が家でも庭隅の小さな畑に小松菜を育てていた。 

ある土曜日、ちょうど私の当番の日の事であった。 
なんと、私は餌を忘れて登校してしまったのである。 
とりあえず水だけは交換した。 
午前中で終わって急いで家に帰った。 
片道30分の道のりであった。 

いつもの土曜日ならば、帰れば昼食であった。 
私は昼食を食べてから鳥の餌を持ってもう一度学校へ行くつもりだった。 
でも母は昼食を食べさせてはくれなかった。 
厳しい母親であった。 

「小鳥たちがおなかを空かせて待っているでしょ! かわいそうに。 
 自分だけ先に食べるつもりなの?! だめ! すぐに学校に戻りなさい!」
 

こう言って私に餌を持たせて、追いやるように学校に戻らせたのである。 

学校に戻って、もう一度水を替えて、菜っ葉や穀類を与えた。 

往復1時間ほど、再び家に帰り着いたときにはふらふらになるほど腹ペコであった。 

「さあ、お昼ご飯を食べようか。」 
小さなちゃぶ台の上に、二人分の昼食が並んだ。 
ご飯と、はんぺん一切れを火であぶって生姜醤油をつけただけの質素な昼食であった。 
でも「二人分」なのだ。 

私が腹を空かせたまま、小鳥たちに餌を持って行っている間、 
母も昼食を食べないで私の帰りを待っていてくれたのである。 
母こそ腹ペコであったに違いない。 

母と一緒に食べた、この生姜醤油の味がしみこんだご飯はおいしかった。 

本当に厳しくて、そして優しい母であった。 

もう一つ不思議なことがある。 
そのときには気にもしなかったのであるが、学校に戻ったとき、 
教室の鍵は開いていたのである。 
担任のH先生は、教室の隅の事務机で、何も言わないで私のすることをニコニコと眺めておられたのだ。 
まるで私が餌を持って舞い戻ることをご存知であったかの如くに。 

我が家にはまだ電話はなかった。 
歩いて5分ほどの雑貨屋さんに赤電話があった。 
今にして思えば、母はそこから学校に電話をして、 
H先生に連絡をしていたに違いない。 
これから息子が餌を持って伺いますのでよろしく、と。 

還暦を迎え、母を亡くしたこの今、やっと解ってきたのだ。 
私が、母と担任の先生の連携の下に、厳しく、そして優しく育まれていたのだと。

戻るにはブラウザーの『戻る』をお使いください。


2007/08/24                    21:20

12日の一声に、ある友人からからメッセージを戴きました。
「2つの大切なものを失ってすごく落ち込んでるであろう○○さんの日記に
                     『本当に幸せ』と書いてあって・・・」

人様に自慢できる母と、60年もずっと一緒にいられました。
最後数年、さらに本当に最後の数ヶ月、自分なりに親孝行の真似ができました。
家内の両親の時も父のときも、「親孝行不足」の後悔がありました。

でも今回はなんの後悔もありません。
演奏会に穴を開けるわけには行かない私に代わって母の側にいてくれたかみさんや、
遠くから帰ってきて私をア○○○の演奏会に行かせてくれた娘には感謝してもしきれませんが。
(かみさん、娘自慢も入っちゃったかな?)

医師に死期を宣告されてから、会わせてあげたい人たちは、
全員意識のあるうちに会いに来てもらうことができたし。

母の遺体の横で過ごした一晩が幸せな時間だった、なんて言えるのは、
実は母と過ごした60年が本当に幸せだったのだ、ということなのだと思います。

今日に至ってもまだ悲しさ、寂しさの実感がありません。
49日過ぎたら実感が湧くのだろうか・・・。

戻るにはブラウザーの『戻る』をお使いください。


2007/08/30                    21:45

ネット友達、台湾で日本語教師をされているF氏とは、会ったこともないのにうまが合う。 

彼がくれたメッセージのなかに、こんな一文があった。 
「いつまでも『未熟』でいたい。」(公表にはご本人の了承を得てあります。) 

私は数学教師生活30年以上の経験、日本語教師としての経験も3年ある。 
ある程度自負心を持っている私にとって本当に新鮮な言葉であった。 
何事も、誰もが「未熟」から抜け出して「ベテラン」になろうと努力する。 
彼ももちろんそのように努力されているのだ。 

教員の戒めの言葉としてこういうのがある。 
「教師は、生徒に好かれていると自覚したときから堕落が始まる。」 

言い換えれば、同じことが他の仕事でも当てはまるであろう。 
「自分がベテランになったと自覚したときから堕落が始まる。」 

F氏は「堕落すること」を自分に戒めておられるのだ。 

「いつまでも『未熟』でいたい。」 
この言葉には「限りなく努力を続けよう。」という向上心が満ち溢れているではないか。 

いつかお会いしたいと願うネット友達のお一人である。

戻るにはブラウザーの『戻る』をお使いください。


2007/08/31                    21:00

参加している、中国語関係のコミュニティーの一つに素敵な投稿がありました。



私なりに意訳を試みました。
ここで黒板の文字を消す、というのは、
チョークで二重線を引いて消すこと、と考えてください、
-------------------------------------------------------
アメリカのある大学での話です。

もうすぐ授業が終わろうかというとき、教授が学生たちに言いました。
「ちょっとゲームをしようと思うのだけれど、だれか協力してくれないかな。」

一人の女子学生が教壇に上がりました。
教授が言いました
「黒板の上にあなたの別れ難い人の名前を20人(組)書いて下さい。」
女子学生は考えながら書きました。隣人たち、友人、身内など・・・。

教授が言いました。
「この中で最も重要でない人を一人消して下さい。」
女子学生は一人の隣人の名前を消しました。

教授はさらに言いました。
「もう一人消してください。」
女子学生は同僚を一人消しました。
教授はさらに続けます。
「もう一人消してください。」
女子学生はまた一人消しました



最後に黒板の上には、彼女の両親、夫と子供の名前だけが残っています。
教室は静まり返っています。
学生達はじっと教授を見つめています。
これはもうゲームと呼ぶものではないな、と感じていました。

教授は何食わぬ顔で言いました。
「もう一人消してください。」
女子学生は躊躇し、選ぶのが苦しそうです。
彼女はチョークを取り上げ、両親の名前を消しました。

「どうぞ、もう一人消してください」
教授の声が聞こえてきました。
彼女は呆然としました。
よろよろしながらもチョークを取り上げ、ゆっくりと、しかし決然として子供の名前を消しました。

すぐさま、苦悩に満ちた表情で、わっと泣き出しました。

教授は彼女が落ち着くのを待って尋ねました。
「貴女と一番近しい身内の人は、両親と子供さんのはずですよね。
 両親は貴女を生み育ててくれた人、
 そして子供さんは貴女自身が生み育てた人。

 だんなさんは、あるいは新しい人を見つけることだってできるでしょうに、
 どうしてだんなさんが一番捨て難い人なんですか。」

学生たちは静かに彼女を見つめ、彼女の答えを待ちました。
彼女は静かに、ゆっくりと話し始めました。

「時間が経つにつれて、両親はきっと私より先に行ってしまうでしょう。
 子供は大きくなって成人すれば、
 やはり私から離れて行ってしまうに違いありません。
 本当に一生私と連れ添って行くのは夫しかいません。」


確かに、人生とは玉葱のようなものかもしれません。
一切れ一切れ剥ぎ取っていって、私たちはどの一切れにも涙するのです。


もしあなたがこの話の主人公ならば、どんな選択をするでしょうか。
----------------------------------------------------------------------

ここには、なるほど、と思わせる視点があります。
人が生きてゆくときの、「共に生きる者」としての重要性という視点からは
非常に示唆に富んでいると思います。

なお、これは心理学関係の授業での話だそうです。

違う視点から、例えば緊急の事態のとき、両親、配偶者、子供を
どの順番に助けるであろうか。
上の問題とは視点が違うので答えが異なって当然です。

まず躊躇なく最優先に子供を助けるでしょう。
さあ、次が問題です。
みなさん、両親と配偶者と、どちらを先に助けますか?


蛇足ですが、語楽家のはしくれとして、最後の3行にレトリックのすばらしさを感じます。
人生に避けられない、人との別れを玉葱を剥いでゆく比喩で表現し、
一切れ毎に涙する、なんて、並みの人に書ける文章ではないですね。

戻るにはブラウザーの『戻る』をお使いください。


  Crane Top Page に 直行