鶴の一声

2008年5月

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2008  05/05       ( 05/08 記 )

我が部屋からインターネットに接続できないのである。
ネットバーに行ってみた。
学生で一杯である。
多くはゲームを楽しんでいるのだが、中には資料を検索してメモを取っている学生もいる。

私も使ってみようと思ったが、会員制。
会員になるには「身分証明書」が必要。
私の身分証明書、と言えばパスポートか「外国人専家証」か。
そして会員登録に20元かかると言う。

20元といえば約¥300、日本のネットカフェと変わらないよ。
まあ、後の使用料は1時間1.5元程度で約¥22、まあ安いとは思うけど。

こういうものはいつもラーメン一杯で比較するのだ。
日本で食べるラーメンは我が家の近くのラーメン屋で¥500ほど、と考えることにする。
大学の近所の大衆的食堂での「清湯麺」が3.5元、約¥48
物価水準はやっぱりざっと10倍だよな。
私の給料は、月3**0元、約¥*0000程度であるから、物価水準で換算すると・・・。
ほお~、日本で退職直前の手取りとイイ勝負だ。
こんな地方都市では、結構高給取りに属するなあ。
だけど、北京や上海などの物価の高いところでは苦しいかもねえ・・・。

そんな中での会員登録料の20元、¥300がいかに高いかがお分かりいただけるだろう。
そのあとの使用料、1時間1.5元、約¥22というのは感覚的に日本とあまり変わりないかな。

部屋のネットが直ればここに来る必要もないわけだし・・・結局登録しないで帰ってきた。

20元あれば2日間、学食で普通に食べられる。
外の食堂でときどきチョット美味しいものをたべても、よほどの贅沢をしなければ、週100元、ってところかな。
ちなみに、3月の食費(食堂で食べたもの、自炊の食材費を含む)は、630元であった。
その中にはL女史の送別会の持分200元も含まれているから、実質430元
4月は540元であった。
この中には突然食べたくなった寿司定食58元、N氏と街で外食した60元も含まれているから実質400元ちょっと

「多少贅沢しても月1000元で収まるよ。」というN氏の言葉は本当であった。
私の当初予定では、食費は月¥10000以内、約650元以内が目標であったから、この2ヶ月は十分クリアしているな。
それで、今回のような2泊旅行もたまには出来る、ってものだ。
だけど節約もしないと、夏休みに帰国する飛行機代が出せない。
給料とは別に往復の旅費が支給されるのだけど、1年の任期満了時だからなあ、2月にならないと出ない。

雲頂の茶園旅行の報告はもう少し先になりそうだが、取りあえず元気であることを報告しておきたい。

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2008  05/08     08:45  ( 日本時間 09:45 )

さて、今日になってももネットにつなげられない。
同じ棟の2階のN氏に聞いてみても症状は同じ。
同じ階の隣人宅もつながらないそうだ。

隣のビルの外事処ではつながっている、という。
どうも我々の棟だけのトラブルのようだが、こういうの、て、結構やっかいなんだよなあ。
2年生ののZFC君が「私の部屋に来てください。」と言ってくれるので、ノートを持ってちょっと行ってこよう。
この記事が皆さんのお目に触れているようならば、見事にアップロードできたということなのだが・・・。

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2008  05/13     20:05  ( 日本時間 21:45 )

やっとNETに接続できるようになりました。
メールやメッセージが数十通も届いていました。
多くの方に地震のご心配をいただき、ありがとうございます。
幸い、ここ福建省は全く何の影響もなく、家族からの電話で慌ててテレビを見て知った次第です。

今朝のニュースでは、死者が9000人に達したとの事です。
謹んで哀悼の意を表したいと思います。

 

 

茶園旅行、その他もろもろは、少し落ち着いてから報告します。

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2008  05/14    23:25  ( 日本時間 05/15 00:25 )

学生から面白い遊び(クイズ?)を教えてもらいました。
論理学の裏側、「自己言及命題の真偽」に関係のある面白い遊びでした。
「数楽家の顔」に記事を作りましたので遊んでみてください。

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2008  05/16    10:40  ( 日本時間 05/16 11:40 )

CCTV、国営放送のメインチャンネルはずっと地震関係のニュースを流しています。
 

山間部の河川の決壊、道路の崩壊、家屋の倒壊の様子がよく解ります。(災前、災后)

7時前には、未明に日本から特別機で到着した救助隊に関して、かなりの時間を割いて報道していました。
 

「日本救援団、成都に到着」「日本救援団団長、小泉崇」とあります。

インタビューは英語でしたが、全体としてかなり好意的な扱いでした。

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2008  05/17    22:40  ( 日本時間 05/17  23:40 )

言葉遊び

2年生の後期ともなると、かなり水準は高くなっている。
先日紹介した言葉遊びが日本語でできる位だし、聴解の教科書にはこんな表現も出てくる。

「お腹すいたわね。」
「そうだね、この車もお腹すいてるから、ガソリン入れなきゃ。」
「そういえば、銀行に寄らなくちゃ、私の財布もお腹すいているから。」

この表現が学生たちには新鮮なようだ。
「汽車餓了!銭包也餓!」(自動車がお腹がすいた! 財布もお腹がすく!)
「日語真有意思!」(日本語って、本当に面白いね!)

今日も果物屋で会った学生に言われてしまった。
「先生の財布はお腹がすいていませんか。給料日は20日ですね。」

おいおい、そんなことまで知っているのかよ。
しかし、この比喩表現が余程気に入ったとみえる。
こんな洒落た言葉を使っている教科書もなかなか面白いものだ。

まあ、「半分冗談の比喩ですよ。」と言ってあげないと、生真面目な学生はこれが正式な表現だと思ってしまうのだが。
中国語で「頑張れ!」は「加油!」(jia you、ジャーヨウ)、
ガソリンスタンドで「給油する」も「加油」である。(こっちがオリジナル。)

「頑張れ!」は「ガソリンを入れろ!」なのだ。
これだって面白い比喩表現ではないか。
それを指摘したら納得していた。
ある優秀な学生は「日本語の比喩表現をもっと教えてください。」という。
そうだよな、日本語と中国語の比喩表現を対照研究して論文を書いたら、修士論文ができあがるだろうな。

ただ漫然と日本語を学ぶだけでなく、こんな姿勢の学生もいるのだ、と言うことがとても嬉しい。

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2008  05/18    17:00  ( 日本時間 05/18  18:00 )

郵便局に航空便を出しに行ったついでに、繁華街の「中山路」に行ってきた。
大好きな街である。
  この「pikaqiu」(ピカチウ)は完全なパクリだよな。

横断幕が変わっていた、「衆志成城 抗震救災」
先日までは、「歓迎北京奥運」(奥運=オリンピック)だったと思うけど。

 街角の献血車、今日は並んではいなかったけど、中に数人。

ウィンドウショッピングをしながら中山路を抜けると長距離バスターミナルに出る。
そこのトイレは無料だけど綺麗だからよくここまで脚を伸ばす。

バスターミナルから出てきたら綺麗なお姐さんが寄ってきた。
話には聞いていたけれど、初めてお目にかかった「その筋」のお姐さんに違いない。
全然それらしくない、極く普通の地味な服装の清楚なお姐さんだ。

「お父さん、今日の宿はもう決まってる? よかったら私の家に泊まらない?」
ほほう、私をどこからか出張にきたオジサンとでも思ったようだな。
まあ、いつもの鞄を肩に掛けて駅から出てくりゃそう思われてもしかたがないわな。
でも「お父さん(パーパ)」ときたよ。

関わると煩わしいから無視。
「全部で300元でいいわよ、食事は私が作るから。」
「泊まらなくていいから、夕食だけ。だったら200元。」

無視していたらシャツのポケットに小さな紙切れを突っ込んで行ってしまった。
159から始まる11桁の数字が書いてあるよ。携帯の番号だあ~。
う~ん、30代半ばくらいのチョットした美人だったなよあ・・・。

一度来てみたかった「韮菜園」の市場に出た。
  角の乾物屋さん。

魚屋さんの店先には活きた魚がピンピン跳ねている。
 

肉屋さんの一角。
 

ふふふ、この看板の下はやめておきましょう・・・。

ほんと、何でもアリ。

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2008  05/19    19:00  ( 日本時間 05/19  20:00 )

昨日の記事についての私の考えを記しておきます。
というのは、最初に掲載した、「肉屋さんに並んだ仔犬の籠」に対して強い拒絶反応を頂いたからです。
結局その写真は削除しましたが、誤解のないように考えをまとめておきます。

1.人間は雑食動物であること。

  人には、肉食動物の特徴である「犬歯」と、草食動物の特徴である「臼歯」があります。
 これは、価値観とは別のところにある問題であり、人は「肉も野菜も」食べるようにできている、ということなのです。

2.「何を食べるか」は、優れて食文化の問題であること。

  人類は本質的に雑食動物である訳です。
 長い歴史の間に培われた「文化」に従って我々は食べるものを選んでいるのです。
 「ゲテモノ」「野蛮」「可哀そう」という概念は、ある食文化から他の食文化を見たときに使われる
 「偏見に満ちた言葉」であると主張します。

 我々日本人は刺身を食べます。
 このことが「日本人は魚を生で食べる」という表現で他民族に伝わります。
 すると、他民族のある人々は、生の魚を両手でむんずと掴んでかぶりつく姿を想像してしまうのです。

 刺身にはそれを食べる「様式美・食文化」があるのです。そのことが理解されていません。

 我が国内でも同じ現象が起こっています。
 名古屋の「味噌カツ」。
 「名古屋人はカツに味噌をつけて食べる。」
 あるテレビ番組で、関東のある有名タレントが、このことを「カツに味噌をそのままぬたくって食べている。」というような、
 偏見、いや、曲解に満ちた表現で揶揄したことがありました。
 味噌を主原料とした、カツに合うように調味料が配合された特別なソース、という「食文化」には思いが至らないのです。

 「ゲテモノ」という言葉には、自分たちが食べないものを食べる他民族に対する蔑視さえ感じます。
 イカや蛸、なまこなどは、多くの欧米人の目には「気持悪いゲテモノ」でしょう。

 こちら(中国南部)では鶏の脚や頭を食べます。
 わたしも最初、「見た目からの抵抗感」があったことは確かです。
 でも慣れてくるととても美味しいのです。
 色々な香料でじっくりと煮込んだ、コラーゲンたっぷりのこれらの料理には、中華料理のこだわりがしっかりと入っています。

 「気持悪い」というのは、食文化の違いによる感覚なのです。
 それらが誤解をさらに増幅して「野蛮だ!」という表現に代表される文化摩擦さえ生むのです。

3.食糧としての動物と、ペットとしての動物。

 むかし、農家ではペットのように大切に動物を育てながら、年に数度それらを殺して食べていました。
 日本における鶏や、ドイツにおける豚がそういうものでした。

 現代ではペットとして、と、食糧としての動物の分化が進みました。
 ある人々がペットとして扱っている動物が、他民族によって食糧として扱われていれば大きなショックを感じるでしょう。
 これは文化の違いによる感情の摩擦なのであって、「かわいそう」「野蛮だ」という表現は一種の偏見なのです。
 最初に言ったように、「何を食べるか」は、優れて「食文化」の問題だからです。

 捕鯨に反対する自然保護団体が、科学的な根拠に基づかないで「日本人は野蛮だ」という論点で議論してくるから、
 摩擦が起こるのです。
 「グリーンピース」の幹部たちが日本を訪問し、自ら鯨肉を試食し、かつて捕鯨で栄えた漁村を訪問したこと、
 村にある「鯨塚」を訪れ、「鯨供養」などの寺社での行事を見学して言ったとされる言葉、
 「日本人の鯨に対する尊敬の念を理解することができた。それでも我々は捕鯨に反対する。」

 この言葉には、「野蛮」ではない、「食文化」としての日本の捕鯨を理解しながら、反対の立場を貫く、
 という、好感の持てる冷静な態度を読み取ることができます。

4.なぜ仔犬の写真を撤去したか。

 これまで書いたことからで、「犬を食べるなんて、中国人は野蛮だ!」という考えが大きな誤解であることは、
 お解かりいただけたでしょうか。すべては「食文化の違い」なのです。

 さて、以上の観点から最初は敢えて「食糧としての仔犬」の写真を載せました。
 そのこと自体に後悔はありません。
 しかし、日本では犬は生活に密着した「ペットとしての地位」を確立しています。
 そんな条件のもとで、ほとんどの読者が日本人である私の日記にそれを載せたこと、
 それがどんな意味を持つかを冷静に考えました。

 「日本の文化」から見たその写真が、多くの読者諸氏に不快感を与えたであろう事に思い至りました。
 撤去するまでの数時間、あの写真を見て不快感を覚えた皆さんに、その意味において深く謝罪します。
 と同時に、以上のような「食文化」についての自説をきちんとお伝えしたいのです。

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2008  05/20    19:30  ( 日本時間 05/19  20:30 )

昨日、一昨日の記事に対して多くの反響を頂きました。
コメントだけでなく、直接メールも頂きました。

私のサイトには「完全匿名」で私にコメントが届く方法があるのをご存知でしょうか。
TOPページにある「拍手ボタン」です。
ここから頂いたコメントは、IPもなにも、一切が解らない、完全匿名で私に届きます。
ここからもコメントを頂きました。
ちゃんと署名入りで下さった方もあります。

「で、お前は結局日本の捕鯨に賛成なのか反対なのか。」と迫ってくるコメントもありました。
メールや署名入りのものでしたらお答えしようと思いますが、無署名の攻撃的な内容でしたので無視します。
昨日の記事は「食文化」についての私見を述べたものであり、捕鯨問題の議論をここでするのは本意ではありませんから。

「趣旨は良く解った。ならば『食糧としての仔犬』の写真を撤去する必要はないではないか。」
というご意見もいただきました。
私はごく普通の日本人の一人として、市場で見たあの光景にカルチャーショックを受けた者の一人です。
でも「何を食べるかは食文化の問題である」との理解から、その光景を受け入れようとする立場をとるのです。
しかしその立場からでも、他の日本人たちにもそれを受け入れよという権利はないと思っています。
意見として考えを述べながらも、不快感を与えることは本意ではないのです。

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2008  05/21    18:30  ( 日本時間 05/19  19:30 )

この話は昨日でおしまいにしようと思っていたのですが・・・。

「その写真を見てみたい、その上で判断したい」
「カルチャーショック承知の上で、是非見せて欲しい」
「一旦載せておいて、他人の圧力で撤去するのは言論の自由の放棄ではないか」

このようなメールもいくつか頂きました。
まだ真意をご理解いただいていない面もありますが、「見たいとおっしゃる方だけ」と言う条件で掲載しましょう。

1.食糧としての仔犬の写真

  日本人にはペットとして親しまれている動物です。
  しかも、「仔犬」なのです。
  それが文化の違いとはいえ、「食材として」扱われている写真です。
  この事実を受け入れるにせよ、受け入れないにせよ、見たくない人は決してクリックしないでください。

  ここです。

2.食材として捌かれている場面

  この写真は、最初は撮ることさえ躊躇した写真です。
  「食文化の違い」を納得、記録するため、あえて撮ったものです。

  我々日本人は、海に囲まれた魚介類の豊富な食材に恵まれて育ってきました。
  魚屋さんでは、消費者の目の前で活きた魚を〆て捌いてくれます。
  活きたまま買ってきて、自分で捌く主婦も多いでしょう。
  魚については目の前で食材として処理することには、案外平気なのですよね。
  でも、他文化の人が見たら感じ方は違うかもしれません。

  鶏も、昔は肉屋さんで活きた鶏を目の前で〆てもらって買ってきた記憶があります。
  祖母の実家に遊びに行くと、庭で遊んでいた鶏を〆てトリすきをご馳走になったものです。

  いまでは、肉類を目の前で処理することを目にする機会はほとんどなくなりました。
  魚でさえ処理済のものがパックになって売られている時代です。
  でも、豚肉でも牛肉でも鶏肉でも、どこかで誰かが「処理」しているわけです。
  私たちは「処理する場面」を意識することなく肉類を食べるようになって来ました。

  中国でも「新鮮な肉」が好まれます。
  牛や豚などの大型動物が、庶民の目の前で処理されることはほとんどないようですが、
  中型動物や小形動物は、やはり消費者の目の前で〆て捌いて売られているのです。
  我々の魚屋さんで見られる光景が、他の動物でも「普通に」見られるのです。

  日本人にとっては、言葉にするのもおぞましい光景だろうと思います。
  ここまで読んでいやな予感のする人、タイトルを読んでピンと来た人、
  見たくない人は決してクリックしないでください。

  ここです。

  これでこの話は終わりにしたいと思います。
  見てしまった人も「食文化の違い」とはこういうことなのだ、と納得いただきますよう。

  あえて見たいとおっしゃる方だけのために掲載するものです。
  その他の方を「挑発」する意図はまったくありませんので、誤解なきよう・・・。

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2008  05/22    22:30  ( 日本時間 05/19  23:30 )

どうも授業のない日は街をふらつきたくなるのだ。
きょうはバスに乗らずに、40分ほどかけて歩いて中心街に行った。

韓国料理の店を見つけたので「ビビンバ」を食べた。10元。

なんかちょっと雰囲気が違うのだが、確かに韓国の味だった。

子供服のお店、香港製、日本製、韓国製、が人気があるようだ。

遊んでしまった。(お姐さんと、ではありません。笑)

繁華街の路上に怪しげな骨董品屋さんが店を広げていた。
その中でちょっと気に入ったものがあった。
直径5cmくらいの丸いの。

数10元くらいなら買おうかなと思ったので聞いてみた。
今日は、思いっきり北方訛りのベランメー北京語でやってみた。
なるべくよそ者らしく。

「これ、いくら?」
「180元。」
「いつ頃のもの?」
「明代。」
(嘘つけ!、本物だったら2000元でも足りんだろ?)
「良いものは高いんだね。」
「こっちの四角いのは90元、ちょっと新しいからね。」
(石も悪いし、細工が雑だよな。模様が三段になっているのがワザとらしい。やっぱり丸い方がいいな。)
「いくらなら買う?」
丸い方を手にして、「まあ30元、かな?」
「参ったなあ、そりゃ無理だ。じゃ、両方で120元!」
「いや、丸いのだけでいいから30元!」
「それじゃあ売れないなあ・・・。」
「もういいよ。じゃね。」
10メートルほど歩いて行ったところで追いかけてきた。
「あんたどこの人だね、ここの人間じゃないよね。」
(ややこしくなりそうだなあ。)
「北の方。」
「やっぱりそうか、北京から出張?」
「いや、河北省から。」(ここは嘘だけど。)
「解かったよ、じゃこの二つで70元でいいよ。」
「40元!」
「60元!」
「50元!」
「しょうがないなあ、好了!」
「好了!」

両方で50元、¥750くらいだから、ま、記念に持って帰るにはいいかな?
絶対に骨董品ではないと思うけど、お土産だと思えば安いもんだ。

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2008  05/25    21:30  ( 日本時間 05/25  22:30 )

学生のチャリティー行事。
「学生は手と手をつなぐ、飲食して四川を助けよう。」
主催 龍岩学院音楽系   共催 和風日膳時尚日本料理(龍岩市唯一の日本料理店、以前に行ったこともある。)

いなせなお兄さんは皆中国人。
「学生広場」に店を構えて寿司つくりの実演
 

手前の赤いのは蟹の卵、その手前の完成品は外側が薄焼き卵の太巻き
包丁は2000元、約¥30000の本格的な日本製だと職人さんが自慢していた。
学生さんも海苔巻きに挑戦。

完成品の例。

これは店で食べれば40元(¥600)ほどするであろう。
今日は実演販売で10元、それでも学食なら3食分
他にも河童巻き1本2元など。

大勢の学生が見物していて、よく売れていた
売り上げはすべて四川省に寄付されると言う。

学生さんの教室に募金箱が回っていたのは知っていたが、
こうやって、楽しんでその結果が寄付につながる、というのも一つの意義あるチャリティーの形であろう。

わたしですか?
もちろん一本買いましたよ・・・。

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2008  05/27    19:40  ( 日本時間 05/27  20:40 )

昨日のことである。
福建省内で、片道数時間程度で帰られる学生は、よく土日に帰省するのだ。
先生、お土産です、と言って持ってきてくれたりするのだ。

アモイ出身の学生。
左側が「閩珍脆餅」
閩、は福建省の別名だから、「福建省名物脆餅」ってところか。

もろいもち、とは何とも言い得て妙な名前だが、薄いエビ煎餅のようなものである。
左下の絵柄は日本の昔の街道の茶店らしい。
「先生、この日本語わかりません。」と言う。
よくみると中ほどに「一番良いづしセエト   天然カルツゥム添加」とある。
「私にも解かりません。」と言って二人で大笑いした。

右側が「紅豆糕」
中身を皿に載せてみたが、食感が「らくがん」そっくりなのだ。
そして、確かに小豆餡の味がするのだ。
なるほど、紅豆=小豆、である。

そういえばこの学生、先週「先生は小豆が好きですか。」って聞いていたよなあ。

もう一人の学生。
永定県の片田舎、小さな村の出身
「これ、母が焼いてくれました、美味しいです。」と言って、ビニール袋にこれだけ入ったのをくれた。

そのときは「ありがとう。」と言ってそのままもらっておいたのだが、ちょっと食べてみて驚いた
とうもろこしの粉を練って焼いただけのもの。
少し黒ゴマが入ってはいるのだが、味は薄い塩味だけ

悪く言えば、味も素っ気もない、お世辞にも美味いとは言えない代物
よく言えば、素材の味の生きた素朴な味

寝る前のホンのちょっとの白酒(バイチュウ)の肴にしてみた。
じっくりと噛んでいると、とうもろこしの甘みが、香ばしさと一緒に少しずつ口の中に広がってくるのだ。
なんだろう、この、なんかちょっと懐かしいような気がする素朴な味は・・・。

この、田舎の味のする「母親が作ってくれたお菓子」。
わざわざ持ってきてくれて、「美味しいです。」と自慢げに渡してくれた彼女の顔が浮かんできた。
そうなんだ、これは自慢の「お袋の味」なんだ・・・。
60度の白酒の酔いも手伝ってか、不覚にも涙が出てきてしまった。

そうだ、こんど「お好み焼き」を作って食べさせてあげよう。

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2008  05/29    17:40  ( 日本時間 05/29  18:40 )

腕時計のベルトの留め金が壊れてしまった。
街中に修理やさんがあったことを思い出したので行ってきた。
「中山路」は龍岩市内でも目抜きの繁華街である。
何よりも乗用車が乗り入れ禁止なのがよい。
二輪車は入れるのだが、所々に写真の横線のような障害が作ってあり、みなゆっくり走っている。
ちょっと「歩行者天国」に近い感じがある。

「表」は、腕時計のこと。
暇そうに立ったまま新聞を読んでいる。
なんとなく無愛想なところが気に入って、この店に決めた。

壊れた腕時計を黙って渡すと、黙って座って修理を始めた。
引き出しの中には小さな部品と工具がいっぱい入っている。
15mmほどの短い横棒の部品をいくつか選んで試している。
どうも合うのがあったようで、それを取り付け始めた。
数秒で出来上がり。

財布を出すと黙って指を一本出した。
100元、ってことはないだろうから、10元札を一枚出したら、お釣りを9元くれた。
え~っ、この素早い職人技と部品代込みでたったの1元! ¥15円。

しかし、最初から最後まで、一言も言葉を交わすことなく済んだ。

一本横道の路地に入るとこんな看板が。
その奥の電話屋さんも美容院も、店舗は右側にある。
一番手前の看板の店舗はまだ閉まっているのだが・・・。

この看板を揚げている店には数軒お目に掛かったことがあるが、まだ入ったことはない
まあ、気にはなるが多分私には御用のない店だろうな・・・。

また繁華街に戻ると、街角に辻芸人がいた。
右側に拍子木をもった老人と二人組。
ふたりとも目が不自由なようだ。
前には小さな箱があって、一元札が数枚入っている。
周りには数人の通行人が足を止めている。

よくみると「胡弓」ではないのだ。
絃巻きが3つある。
ということは、本来は擦弦楽器ではなく、撥弦楽器であるはずだ。
よく見ると、弦は2本しか張っていない
それに弓を挟み込んで、「胡弓(二胡)」のように弾いているのだ。

胴も蛇皮ではなく、木のくりぬき
裏側には空洞がある。
なんと、そこにマイクを突っ込んで拡声器で増幅している。
そのPA装置が、全体としての周波数特性が悪く、妙なところに変なエコーがかかっている。

これでお金を稼ごう、というのにはちょっと、という腕前だし・・・。
たまたま鞄にICレコーダーが入っていたので録ってしまった。    ( 聴きたい方はこちらから )

さて、とその場を去ろうとしたのだが、写真を撮って、録音までしてしまって・・・。
さすがにチョット気が引けて、箱に一元札を放り込んでしまった。

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2008  05/30    22:40  ( 日本時間 05/30  23:40 )

やっぱり「一番良いプレゼント」のつもりらしいですね。
「天然カルツゥム」は言うに及ばず・・・?
でも、どうしたらこんな誤植が起こるんだろう・・・・・

  小老頭児 ”Xiao lao tour”(シャオラオトウル)

「老頭児」 ”Lao tour” は、「ロートル」の語源であり、「年寄り、じいさん」の意味である。
それの最初に「小」をつけたこの単語を耳にしたのだ。
意味が良く解からないのだ。

「小」には「蔑称・愛称」両方の意味がある。

最近ではほとんど聞かれなくなったが、「小日本」”Xiao riben”(シャオリーベン)は日本人に対する蔑称である。
米語の”Jap”にあたる言葉だ。

それに対して、名前の前によく「小」を付けて呼ぶことがある。
王さんを「小王」”Xiao Wang”(シャオワン)と呼べば、これは親しみのこもった愛称である。
「王ちゃん」くらいのイメージである。
姓ではなくて名の方に付けることが多い。
「王 麗華」さんならば、「小麗」”Xiao li”(シャオリー)、または「小華」”Xiao hua”(シャオホア)。
これは「麗華ちゃん」である。

2年生の授業の休憩中、廊下で世間話をしている女学生のグループがあった。
その中から、”He**** Laoshi・・・”(ホー○○○ラオシー・・・)という言葉が耳に飛び込んできたのだ。
「鶴○老師・・・」(鶴○先生が・・・)である。
あれま、私の噂話でもしてるんかいな、と思って何気なく近づいて行ったときに聞こえたのがこれ。
「他那位小老頭児・・・」”Ta neiwei Xiao lao tour・・・・”(ターネイウェイ シャオラオトウル・・・・・)
「あの『小老頭児』がさあ・・・」、ってところなのだ。

、初めて耳にする言葉である。
そのとき、中の一人が、側にいる私に気が付いた。
その途端、ピタッと話が止んでみんなちょっと気まずそうな顔をしているのだ。
その単語を口にした学生はちょっと顔を赤くしているし・・・。

かわいそうだから何気ない顔をしてその場を離れたのであるが、気になるのだ。
私のことを「小老頭児」と呼んで気まずそうな顔をしている。
いったいこの言葉にはどんな意味があるんだろう。

直訳すれば「小さい年寄り」
蔑称ならば「くそじじい」くらいかな?
愛称だとしたら上手い訳が見付からないが、「お年寄りちゃん」・・・?

手持ちの辞書を調べても載っていないし・・・。
Excite翻訳で調べたら「小さい年寄り」そのまんまの直訳が現れた。
どうもニュアンスが解からないのだ。

試しに親しい英語科の学生に聞いてみた。
”It means a little old man.”、おいおい、やっぱりそのまんまじゃないかよ。
「ちび年寄り?」「ちびじいさん?」

解からない、ということは気になるものなのだ。
でもあのときの成り行き上、彼女たち自身に聞くのもまずいようだし、日語科の中国人の先生に聞くのもナンだし・・・。
第一、もし蔑称だったとしたら彼女たちに恥をかかせるか、私が恥をかく結果になるかもしれないし。
愛称だとしても、私を「~ちゃん」呼ばわりをして、やっぱり彼女たちが気まずいだろうしなあ・・・。

イカン、気になり始めると、どんどん気になってしまう・・・。
でも、一体誰に聞いたらいいんだろう・・・?

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2008  05/31    22:40  ( 日本時間 05/30  23:40 )

今朝日語科のZYY先生から電話があった。
びっくりである。
いま私が担当している科目を去年落とした学生(今三年生)に、追認考査をしてくれ、というのだ。
それは構わないのだ。
3月に「重修通知単」と言うものをもらっているから、そういうことがあることは理解しているつもりであった。

そのときに確認したこと、「授業は受けなくて良いけれど、試験は受けなくてならない。」
だから、今回の学年末考査を受けに来るのだな、という理解であった。
ところが今日の電話では、来週中に追認考査を行って、再来週中に結果を提出してくれ、とのこと。
あらあら、彼らのために、先に問題を作らなきゃならないわけか。

さらにビックリしたこと。
「彼らが去年履修した内容の範囲で試験をして欲しい。」と。
それは私には解からないことである。
知らない生徒だし、そのときの担当教師はもう既にここを去っている。

いったいどんな問題を作ればいいのだろう。
そもそも、私は自分がここに赴任する以前のできごとの後始末など、「責任をもって」することなどできないのだ。
あさって月曜日に教務に予定を知らせてくれ、という。

「不可能です。」返事はこれしかないよな。

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