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昨年五月に心筋梗塞を患い、六月に急遽帰国しました。
学生達にちゃんとした挨拶もできないままの帰国でした。
手術して健康を取り戻した今、学生達の卒業を機に、
世話になったお礼と卒業のお祝いを言うために再び龍岩を訪れました。
自分自身の心のケジメをつけて、しっかりお別れしてきました。

下記の日付をクリックして見ることができます。

スクロールして連続してみることもできます。

2010年 6月 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 日  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


6/1  名古屋ー上海ーアモイ  

上海にて
  17:20到着予定だったのだが、機体が停止したのはビルから遠くはなれた位置。
 17:18にタラップを降りたのだから遅れたと文句は言えまい。
 そこからバスに乗せられて15分ほども走ってやっとターミナルビルに到着。
 託送荷物が出てくるのに時間がかかった。こればかりは運のみ。

 入国審査の厳しいこと。
 スーツケースまで開けられて隅々まで検査。
 上海万博でピリピリしているのがよくわかる。

 18:32 荷物を一時預かり所に預けて急いでリニアモーターカーに乗る。
 これでは18時約束の南京東路にいつ着くことやら。
 リニアモーターカーはさすがに速い。
 7分で終点「龍陽」に着く。
 そこから地下鉄二号線に乗って19時05分に「南京東路」に到着。

 約束は二番出口なのだが、上のビルの改修中で二番出口は閉鎖中。
 こういうハプニングが一番困る。
 約束の卒業生WXQに三番出口で出会えたのは奇跡に近い。
 一緒に夕食を取ろうと約束していたのだが1時間以上もロスしてはもう無理である。
 逆コースで一緒に空港まで来てくれた。

 20:00に空港について、荷物を受け取ってチェックインはぎりぎりであった。
 WXQが買ってくれたパンと乳酸飲料で夕食をすませ、ここで別れる。

 またバスに乗せられてタラップで搭乗したのが21時過ぎ。
 離陸するまで随分待たされ、結局アモイには30分遅れの23:05分。
 (日本時間では日付が変わってるよ。)
 国内便だからそんなに手間はかからないのだが、それでもタクシーでホテルには23:50着

 チェックインしてバタンキューである。

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6/2  アモイー龍岩

7:10起床、朝食バイキングで軽めに朝食をすます。
 チェックアウトのとき「Xianjin か ka かどちらにしますか」と中国語で聞かれ、???
 10数秒も経ってやっと「現金か カードか ~」だと解った。
 ああ、私の中国語も錆び付いたなあ、まあ一年も使ってないからな。

 龍岩にいる学生、ZYJにTEL、到着予定時刻を伝える。
 四年生の本科生、三年生の専科生は今大都市や故郷にいる。
 最後の学期は「実習」と称して実質的就職活動をしているのだ。
 卒業式のために、6/4までに帰校するように指示が出ているという。
 そのため二日にはまだほとんどが戻っていないのだ。
 それで龍岩のバスターミナルには四年生のZYJ一人が出迎えにくるという。

 10時の高速バスに乗って、龍岩には12時過ぎに着くはず。
 ところが龍岩南のいつものインターでは出ないで、なんと西側のインターまで行ってしまった。
 見慣れない景色にとまどっていると、真新しい大きなビルに着いた。
 
できたばかりの新しいバスターミナルで、長距離バスはすべてここから発着するという。
ZYJと出会って荷物を持ってくれる。
タクシーで鳳凰地区の古い校舎の近くまでゆく。
よく通った懐かしい食堂に行き「清湯細粉」を注文した。
 
夢にまで見た龍岩の味である、懐かしかった。
その後、ZYJに荷物を持たせたままタクシーで「人民医院」へ。
笑顔のすてきな看護師さんには会えなかったが、主治医のDr.LDにはお会いできた。
私の心臓の手術の結果の図のコピーをお渡ししてお礼を言う。
「こんなに元気になって、本当に良かったですね。」「すべて先生のお蔭です。」

今度はバスで学校まで行く。
構内にある、学校が経営するホテルである。
ここでZYJにはお礼を言って引き取ってもらった。

チェックインを済ませて外事所のZ氏を表敬訪問し、元気な姿をみてもらう。
日本人教師の、元同僚Y氏と、私の代わりに急遽龍岩にきてくれたK氏に会い、
学内で一番美味しいと言われるレストランで3人で夕食をとる。
噂を聞きつけて数人の学生が顔を見せに(見に?)きてくれた。

今日はここまで、忙しく過ぎた3日以降は次回にしよう。            続く

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6/3

6:40 起床
 教工食堂にゆく。
 ここも一年振りである。
 お粥とちょっと塩辛いゆで卵をもらう、1.3元。相変わらず安い。
 これに日本から持ってきた「鮭のふりかけ」をかける。
 これが美味いのである、お粥にふりかけ、是非一度お試しあれ。

 気がつくと腕時計が止まっている。
 そうか、二年ほど前にここ龍岩で電池を換えたままだった。
 ホテル下のスーパーで75cmの傘を買う。
 こんなの持っては日本に帰れないが、今日の雨は降りがちょっと激しい。
 持参の小さな折り畳み傘では濡れそうである。
 19元、約250円だから安いもの。

 中山路までバスに乗って、あの時計修理やさんを見つけて電池を交換してもらう。
 手間賃込みで5元、約70円、安いなあ。

 時間を計るつもりで19路バスに乗って新しいバスターミナルまで行く。
 30分くらいかかったから大学からだと余裕が必要だな。
 アモイに戻るのは一週間後だけど、試しに窓口に行ったら買えた。十日15時発。

 19路、2路のバスを乗り継いで大学に戻ろうと思ったのだが、ふと終点東肖まで乗ってしまった。
 懐かしい猥雑な商店街を冷やかしながら昼食とする。
 ここでは懐かしい店でときどき食べたチャーハン。
 チャーハンも美味いのだが、サービスでついてくるスープ「清湯」が何とも言えず美味しいのだ。
 そう、あの「清湯細粉」のベースになっているスープである。
「香菜」をちょっとあしらったこの味は、 土地の人はあまり意識していないようだが、
 まさに龍岩名物の名に値する。

 果物屋でトマト4個(1.8元)、ちょっと季節の早いマンゴーのでかいのを思い切って買う。
 6元。これは¥80くらいでかなり贅沢だ。

 歩いて20分、学院賓館まで戻って昼寝をする。13:00~
 う~ん、やっぱりここにいると昼寝の習慣がよみがえるなあ。

 14:30 学生からの電話で目が覚める。
 三年生一班の数人が、午後授業がないから会いに来るという。
 15時ころ女学生が五人来てくれた。
          ZLQ,CAC,XF
            ZQF,DYH
   お喋りに花が咲く。
 みんな日本語が上手くなったなあ。

 気のせいか、なんかみんなチョット大人びたような気がする。
 この位の年齢のお嬢さんは、一年で随分変わるものだな。

 夕食は教工食堂でゆっくり一人で食べる。
  

 食後今度は三年生専科の学生からお呼びがかかる。
 喫茶室で20時から二時間くらい話し込む。
       HZ,XL,CCH,HJW
   

 この子達は今年卒業である。
 22時過ぎに賓館に戻ってシャワーを浴びて寝る。
 一日中雨が降り続いた、蒸し暑い日であった。

 明日からはパーティーや会食で予定はいっぱい。
 太らないようにセーブするのが大変だあ。

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6/4

7:00 起床  また教工食堂でお粥とふりかけの朝食。
 マンゴーはよく熟れていて美味しかった。
 これならば、今日本で買えば一個1000円以上するだろう。
 やはり亜熱帯の恵みである。

 午前中は予定がないので、また一人で街に出かける。
 新聞スタンドで目に付いた新聞、買ってしまった。2元。
  「環球時報」まあ、ワールド新聞、ってところかな。
タイトル直訳「日本首相8ヶ月やっただけ」
やっぱりなあ、時間の問題とは思っていたけれど早かったなあ。

今日の昼食は「炒細粉」、いわばビーフン炒めである。

今日は天気が良い。
ちょうど昼頃、街路灯の影が真下にできる。
 これの影が、

 こうなる。

夏至にはもう少しだが、このあたりは北回帰線に近い。
南中時にはほぼ真上から太陽が差してくるのだ。

賓館に戻って昼寝。
四年生のWHJと卒業生のXHYが訪ねてくる。
図書館前の広場で記念写真。
XHY , WHJ

彼女達も久しぶりの学校だ、ということで、K氏、Y氏の部屋を訪問。
玄関前で四年生のLJWに出会う。
LJW

あ、そうそう。
他人様の色々な旅行記を拝見して、景色や史跡の写真には興味をそそられるのだが、
人物写真、とくに自分が知らない人物の写真には興味が湧かないことを思い出した。
読者諸氏も同じように人物の写真は面白くなかろう
まあ、○○ばかチャンリンと思ってお付き合いいただきたい。

夜は学院のお偉方と外人教師のディナーパーティー
またご馳走攻め、乾杯攻めにあったが、学部長がうまくアルコールをセーブしてくれて
助かった。

まあ、お偉方の写真はやめておこう。
21時過ぎ賓館に戻って早めに寝る。

明日は四年生のクラスのパーティーだ。

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6/5

なんと最後までこの国らしいどんでん返し。
卒業式は最初6/12くらいと聞いていたのである。
それで6/5~6/15の航空券を予約していたのだが、6/5に変更、という連絡が入った。
それで慌てて6/1~6/11に変更してもらったのだ。
こちらに来てから卒業式がまた6/13に変更なんだと。

それでも四年生の本科クラスが本日ディナーパーティーを開いてくれた。
まだ龍岩に戻っていない学生もいるが、それでもクラスの半分以上が集まった。

想い出話は尽きない。


あれ? ZFCはいつから煙草を吸っているんだろう。
教室棟、寮、すべて全面禁煙だったから苦労したろうなあ。


メインはこの魚のスープ。
ピリッと辛くてあっさり味、絶品であった


先生は魚が好きだから、と両脇からついでくれる。

        ZYJ , ZJZ

この二人、自分で言うのもなんだが、親衛隊のTOP2である。
私が入ってゆくと「先生!ここ。」と二人の間に私の席が用意されていた。
私が龍岩に来たばかりの頃、スーパーに行くのにもエスコートしてくれた(3/13)ものだ。
また、私の部屋に何度も料理に来てくれた。
まだ二年生だった頃と較べて、みんな大人になったものだ。

最後に全員と二人ずつ記念撮影。
XBH

おとなしくいつも控え目であったWXX。
婚約が整って、卒業後結婚するのだそうだ。おめでとう!
WXX

ちゃんと男子とも撮りましたよ。
LZQ

本当は全員分の写真をここに載せて「どうだ、可愛いだろう!」
と自慢したいところだが、3人でやめておこう。

最後に9月からまた中国に来ることを報告すると拍手が起こった。
「でも龍岩ではありません。」というと、「それでも日本よりは近いです。」と。
卒業すれば私だけでなく、学生同志もばらばらになる。
入学から共同生活を通して切磋琢磨し、4年後には別れが待っている。
これは予定された別れである。

昨年病により心の準備もなく突然帰国した。
このクラスのみんなとはしっかり予定通りの「さようなら」を言い合えたと思う。

卒業生の日記(QQブログ)に印象的なものがあったので紹介しよう。
本文の前に、大学を卒業することが日本とは少し意味が異なることを話しておこう。

大学は全寮制で、学生も地元を中心に全国から集まってきている。
同じ地元、と言っても福建省内の別の友人の家までバスで数時間もかかる
ましてや省が異なれば夜行列車に乗らなければならないくらいだ。

入学して、出身地の異なる6~8人が同じ部屋に住む。
一年ごとに部屋換えはあるらしいが、それでもクラスメート。
四年間で学業を学ぶだけではない。
時にはケンカもしながら人間関係を学ぶことも大きな意味を持つ。
彼ら、彼女らの「卒業」は、学業の「卒業」以上の意味を持つのだ。

昨日の写真、最後から三番目の女学生、XBHの日記である。

20106月,那年夏天,我们大学毕业。

  没有以前期待的兴奋,却是无限惆怅。
脱下学士服的那一刻突然好累。
我们毕业了,不是开玩笑,这次是真的毕业。
 

  毕业酒会,拍照,抱别。
我们说好不要感伤的,我们说好开心是我们的主旋律。
可是酒精的浓度似乎承受不住如此沉重的感情,
或许唯有加上眼泪,才能释怀。
一时间所有的人都抱成一团,痛哭流涕。

为了我们的曾经,我们的真情。 

  邀了学弟学妹吃饭。
他们说真羡慕你们毕业了,我说我羡慕你们还可以在学校;
他们问大学四年有何感慨,我说好好珍惜剩下的大学时光。
他们笑了,我的笑容却僵住了。
一年前亦是此情此景,只是当初笑的人却在这里重复着当初让她觉得可笑的话。

 有些事真的要亲身经历了,才懂。 

  校门口到圆楼的台阶依然那么漫长,可是少了一个你陪伴左右。
我们说好毕业时要在长长的台阶上,香香的紫荆花下拍照,
摆最最可爱的姿势,展最最灿烂的笑容。

可是如今,台阶依旧孤单。

 宿舍,很是零乱。
一个个大大的行李慢慢地被整理了出来。
蹲在行李旁边,我们说,
可不可以不整理?我不想走。
然后大家一起抹着眼泪说,没出息,又不是生离死别。

  毕业了,是不是什么都要毕业。 

岁月催人老,我们只能一直往前走,
留下一段美丽,一份纯真,一丝遗憾,回忆。

的確な訳には自信がないが、気持に添って意訳を試みよう。

2010年6月、その夏、私達は大学を卒業した。

以前期待していたような興奮もなく、却って限りない憂いさえある。
学士服を脱ぎ捨てた一瞬、突然襲ってくる疲労感。
私達は卒業したのだ。それは冗談ではない。今回こそ本当に卒業したのだ。

卒業パーティーで写真を撮り、そして別れの抱擁。
お互い感傷的にならないようにね、って言ったのに。喜びが主旋律なのよね、って言ったのに。
しかしアルコールの濃さはこれほど重い感情に耐えることはできないようだ。
多分涙がなくてはこの気持ちを表しきれないだろう。
しばらくの間、みんなひと塊になって抱き合って泣き叫んだのだ。
これまでの私達のため、私達の本心のため。

後輩を食事に誘った。
私たちが卒業して本当に羨ましいと言う。私は彼らがまだ学校にいられて羨ましいと言う。
彼らは、四年間の大学生活にどんな感慨があるのか聞いてきた。
私は、残された時間を大切にしなさいね、と言った。
彼らは笑った。そして私の笑顔はこわばってしまった。
一年前にもこんな情景があった。
あの時この言葉に笑った私が、その可笑しかった言葉を自分で口にするなんて。

真実は自分自身で経験してやっとわかるものなのだ。

校門から円形校舎までの石段は相変わらず緩やかに長い。
石段は元のままだけど、右にも左にもあなたはもういない。
卒業のときには、あの長い階段の香り高いハナズオウの下で写真を撮ろうね、って
一番可愛いポーズをとって、輝くような笑顔で写真を撮ろうね、って言ったのに、
だけど今、石段はやっぱり孤独なのだ。

寮の部屋はぐちゃぐちゃに乱れている。
一つ一つの大きなトランクがゆっくりと整理されて行く。
荷物の横にしゃがんでつぶやく。
整理しないでおくことはできないのかなあ。ここから出たくないよお。
それから一緒に涙を拭って言うのだ、情けないわよ、今生の別れではないのだから。

卒業した。だけど何もかも卒業しなきゃいけないの?

歳月によって人は老いる。私達はただ前に向かって真っ直ぐ進むしかない。
一区切りの美しい、純真な、そして少しだけ残念な追憶を残して。

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6/6

卒業生のXHYが昼食に誘ってくれた。
幸い昼は先約がないので受けることにした。
昨年かみさんと娘が来たときに父君が土楼に案内してくれた、そのXHYと友人OJである。
XHYの父君が龍岩市の一等地に食堂を開店したのだ。
「適中農家餐館」
適中は龍岩の南にある農村である。
その「田舎料理」を看板に据えた食堂。
素朴な家庭料理の味がなかなか良い。
こういうのが結構当たるのであろう。
残念ながら写真はこれだけ。
OJ , XHY

夜は07年級二班の有志が晩餐会を開いてくれた。
昨年授業中に倒れたのはこのクラスであった。
後列右から二人目、三人目が私を担いで運び出してくれたのだった。
「先生がこんなに元気になって嬉しいです。」
女学生に囲まれてご満悦の私であった。

料理の写真は省略。
この子達は三年生。卒業は来年
四年生のクラスとはやっぱり雰囲気は違った。
「今」を楽しんでいる、青春真っ只中なのだ。

お開きのあと、みんなでワイワイがやがやと賓館まで送ってくれた。
「鶴池」の東屋で全員とツーショット写真。
斜めの姿勢をとろうと後に引いていた私の左手を、右手で握ってくる。
文化の違いだろうか、どの子もみんな当たり前のように手を握ってくるのだ。
男子はだれも握ってこなかったケドネ。

  ZGQ

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6/7

朝食はいつもの教工食堂でお粥にふりかけ。
そこに若い英語科のHJY先生が現れた。
”Hi sense~ Are you already well now ?”
と、英語で会話をしながら懐かしい思い出話をした。

夜は四年生のZYJと二人で街へ出かける。
これは前からの約束だったのだ。
私が龍岩に来てすぐ、最初に二人で夕食を食べたことを覚えていて、
「また先生と二人でステーキを食べたい」と。
あのとき(2008年 3月8日)まだ二年生で「先生、幸福はどこにありますか?」
と聞いてきた彼女。
今日は「最近彼があまり構ってくれない」だとさ。

ZYJ

食後1キロほど歩いて上島コーヒーに行く。
道を渡るときにさっと手を引いてエスコートしてくれて、渡っても手はそのまま。


ここで四方山話をして9時ごろ帰ることにする。
終バスが早いからタクシーに乗るのであるがタクシーの中でも手を離さない。

大学に戻って、今度は私が寮まで送る。
寮に着くと親衛隊のもう一人のTOP、ZJZとばったり出会う。
「あ、ステーキ?」と勘の鋭い子である。

賓館に戻ろうとする私を追いかけてきて喫茶室につれて行かれた。
恋人の親に日本留学も大学院進学も反対されて諦めたのに、
今度はその彼ともうまくいっていない、という。

夢を捨ててまで着いてゆこうと思っていたのに・・・・と涙ぐむ。
困ったものだ。もう私の仕事ではないのだがなあ・・・。

ZJZ

いまの中国ではまだまだ封建的な考え、風俗習慣が強く残っているのだ。
男性より女性の方が学歴が高いのは、男性自身もその親も嫌うのだ。
彼は三年制短大卒、彼女は四年制本科大学卒。
それだけですでに強い摩擦に晒されている。
もう私にはなんのアドバイスもできない。

現役の高校教員の時にもときどきあった。
30代前半くらいまでは女生徒が男子教員を「男性」として見てしまい、扱いに苦労する。
40代50代になると「代理父親」を求めてくる女子生徒がいるのだ。
父親とうまく行ってない生徒や、母子家庭の生徒など。
担任やその他適当な男性教員に父親代理を求めてくる。

そんな例はいくつも経験しているが、高校生では一年生で可愛がり、2年生から3年生
の二年間で少しずつ離れてゆくことができた。

中国の学生達は純朴である。
寮生活をしているために、家族と遠く離れているために色々な問題が起こる。
女学生が代理父を求める、そんな相手にはちょっと年寄りの安全牌が選ばれるのだ。

男子学生が年配の女性の先生にまとわりつくのも幾人か見てきた、代理母親である。
女学生が先輩の男子学生を代理兄とみなして付き合っているのに、彼の方は恋人として見る。
そんな行き違いも色々見てきた。

この四年生で女学生との距離の取り方にちょっと失敗した気がしたので、三年生たちとは
うまく距離を置いてきたつもりである。
三年生にはベタベタしてくる者が一人もいないのには助かっている。

さて明日は、昼食も夕食もパーティーである。

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6/8   昼の部

この日は昼、夜、とパーティー。
昼は三年生専科クラス。
専科は三年制短大なので、このクラスはもう卒業なのだ
四年生の本科クラスは、卒業式、正確に言うと「学位記授与式」があるのだが、
このクラスにはそういう「式」はない。
クラスルームで担任から「修了証書」をもらって終わり。

今日のパーティーが正式の卒業パーティー(大学主催)なのだ。
先生方の姿も見える。

3つのテ-ブルを回ってあちらから、こちらから。

何回目の乾杯だろう、もうジュースになっている。

あちらこちらで学生同士、先生と学生のツーショット写真大会が始まる。
  ZY
ZYは私の左手をさりげなく持っていった。

美人の誉れ高いXSQ
  XSQ

学習委員のSGQY、珍しく漢字四文字の名前である。
  SGQY
クラスが落ち着かないとき、宿題の提出率が悪いとき、
その他色々な場面で私の右腕としてよく働いてくれた。

授業後よく残ってしつこく質問したXL。
授業の批評も臆せずしてくれた。
あの部分は説明が足りない、とか、あんなときにはもっと厳しくして欲しい、とか。
  XL

病気で一ヶ月休学し、その後必死になって追いついてきたLYT。
ある意味、一番手が掛かった学生。
「先生ありがとう」と胸に飛び込んできたので反射的に抱き上げてしまった。
みんなが喜んで写真を撮ってくれるので数分この姿勢、疲れた。
  LYT

それを見ていたLJL。
勉強嫌いでよく呼び出した。
色々追試をやって、なんとか単位を与えた科目もある。
いきなり走ってきて私を抱き上げた。
LJL
不器用な彼の精一杯の気持の表現だったのであろう。
クラスメートの注文で数分頑張った彼も顔が真っ赤になってしまった。
重かっただろうな。

このクラスももう解散である。
しかし、四年生のような号泣する姿は見られなかった。
一年の想いの違いだろうか、多分そうなんだろうな。

6/8  夜の部

夜は三年制本科一班有志が晩餐会を開いてくれた。
このクラスの卒業は来年。
もう私が9月から別の大学に赴任することが伝わっている。
「残念です。」「もっと先生の授業を受けたかった。」
と、いじらしいことを言ってくれる。

ZQF,CFJ,HJY,CYB,TZZ

   TZZ , LRT , HFM

このクラスが一番男子が多い。
    TS , WXZ , HLX , XL
OYB , LW

学習委員のCFJ。
顔に似合わぬ姐御タイプで、だらしない男子を叱り付けていた。
CFJ

くよくよするのが嫌いな、ボーイッシュなZLQ。
今日はいつもと違って女っぽい。
私がICUで横たわっていたとき、便意を催した。
(これが看護士の仕事でなく付き添いの仕事だ、ってのにもビックリ)
付き添っていた他の二人がまごまごしているときに、躊躇することなく
私の寝巻きをまくって下着を脱がせ、便器を下にあてがってくれた。

後の始末もテキパキと、こっちが羞恥を感じている暇もないくらい鮮やかだった。
かみさんが日本から駆けつけるまで、何度世話になったことか。
  ZLQ
いつものように全員と2人で撮ったのだが、載せるのはこの二人にしておこう。

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6/9

この日は予定を入れてなかった。
ゆっくり寝坊をして、明日の出発のための荷造りをしたりしていた。
夕方電話が入り、昨日参加できなかったLCYが一緒に夕食をとりたいという
4人で第二食堂の二階でステーキを食べた。
                HFM,LCY,CFJ

内気なお嬢さんのLCYとゆっくり話をしたのは多分初めて。
「もう先生と会えないのだったら、もっともっと話しておけば良かった。
俺はなんて幸せな教員なんだろう、とつくづく思う。
  LCY

21時半ごろ賓館に戻ると、二班のLQとSYLがロビーで待っていた。
いったいいつから何時間待っていたのだろう・・・。
「これ、クラスのみんなからです」と小さな包みを差し出す。
中に入っていた紙には、みんなの名前と一言が書かれていた。
これは紹介しないで私だけの宝物にしておいても許されよう・・・。

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6/10

いよいよ龍岩出発の日である。
6日の二班の夕食会に来られなかったHTTがCJXと一緒に来てくれた。
HTT , CJX

一年生のころから、よく廊下で話しかけてきた積極的な学生だった。
HTT

昼は一人になりたかった。
ふらふらと東肖の町まででかけて、最後の清湯粉を食べた。

戻ったら四年生が三人来ていた。
「さあ、先生、いよいよ出発ですよ、準備はいいですか。」
      
LJW、SXL、WHJ

校門の横にある石碑。
ここに来ることは多分もうないだろうな。

バス停にきてビックリ。
何十人もの学生が見送りに来てくれていた。
「先生さようなら~」「またきてね~」
思い思いの別れの言葉に、私はただ窓から手を振るだけ。

バスにも数人乗ってきた。
荷物持ちの男子とあと少しの女子
        SY

おい、ZYJ、最後に隣に来るのはやっぱり君か・・・。

新しいバスターミナルからアモイ行きの高速バスに乗る。
ちょっと疲れたので昼寝をしようと思うのだが、興奮していて寝られない。

アモイには予定通り18時頃ころ到着。
タクシーでホテルまで行くと、ロビーにはもう卒業生達が五人集まっていた
近くのレストランで海鮮料理をいただきながら近況報告などを聞く。
       JYX , LXY
    ZHL , LYX , XHJ
 

やっぱりツーショット写真も撮ったのだが、これが気に入った。
私がハートの中に入っているのだそうな。
                   XHJ , LXY

今回の旅行の最後のホテル。

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6/11

あ~あ、上海ではやっぱりウィングではないよ。
タラップから搭乗。

昨年あたふたと帰った中途半端な思いはこれで吹っ切れた。
龍岩学院も、親しくしていただいた先生方も、可愛い学生諸君も、
一生忘れることはないであろう。
なにも思い残すことはない、と言ったら嘘になろうが、
妙に後を引くような別れではなかったと思う。

ある意味でこの子たちのことはしばらく忘れなければならない。
9月からはまた新しい学生達が待っているのだ。

教員は学生達にとって「過客」にすぎない。
そんなことは高校教師時代から百も承知。

だからこそ、どの出会いもかけがえのないものなのだ。

龍岩の旅  完。

人名録 

CAC

陈阿翠

CCH

程翠红

CFJ

曹凤娟

CJX

陈菊小

CYB

陈雅滨

Dr.LD

Dr.林东

DYH

邓燕华

HFM

黄福妹

HJW

胡建文

HJY

何菊英

HJY

何娟艳

HLX

黄龙兴

HTT

黄婷婷

HZ

胡筝

JYX

LCY

李翠艳

LJL

刘家良

LJW

李静文

LQ

黎倩

LRT

林如

LW

刘伟

LXY

林雪影

LYT

林燕

LYX

林宇星

LZQ

罗招群

OJ

欧静

OYB

欧阳邦

SGQY

上官桥英

SXL

沈小莉

SY

石雨

SYL

石永连

TS

唐胜

TZZ

唐筝筝

WHJ

温红金

WXQ

王雪琼

WXX

翁小霞

WXZ

王先智

XBH

薛碧煌

XF

夏芳

XHJ

肖慧娟

XL(女)

徐丽

XL(男)

肖磊

XYH

谢惠云

ZHL

郑惠玲

ZGQ 朱国庆

ZJZ

周佳珍

ZLQ

曾柳青

ZQF

张青峰

ZY

张怡

ZYJ

张玉娇

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